1リットルの涙〜第5話〜

先週もブログで感想書きましたが、第3話じゃなくて第4話でした。
お詫びして訂正しますm(_ _)m



調べてみたら主人公の煩ってしまった脊髄小脳変性症は、かなり残酷な病気。


たとえば、人口生命維持装置がないと生きれない状態(つまり植物○間)の病気は、脳幹(循環・呼吸機能)だけが正常な状態で、他の小脳・脊髄(運動などの機能を司る器官)や大脳(感情や思考を司る器官)も破壊されている。逆に考えれば、大脳が破壊されているおかげで思考や感情が停止しているために、自分の病気を知らずに、自分の病気の苦しみを感じなくてすむとも言える(←この言い方はかなり冷酷な表現かもしれないが…)。




だが、この主人公の病気は脊髄と小脳だけに障害があり、大脳は正常であるため、自分の病気の苦しみを認識し、自覚することが出来る。しかも思考や感情を伴ってしまう…。
自分の病気の進行を自分の目で見なければならない・・・これがこの病気の残酷なところ。想像するだけで胸が痛いです。




これは認知症(旧名:痴呆症)とアルツハイマーの構図に近い気がする。
認知症は自分の症状を自覚していない。周りの人だけがその人の認知症を認識している。本人はある意味で幸せかもしれない。だが、アルツハイマーの場合は忘れていく自分自身を客観的に自覚できてしまう。病気を自覚するというのは怖いことだし、勇気が必要なこと。ドラマでアルツハイマーを扱ったものが多いのはそれだけ重い病気だからだと思う。



自分は関係ないと思っていても、交通事故や不慮の事故etcが原因で突然、自分自身や自分の大切な人が障がい者になる可能性がある。だからそういう複雑な病気に関しては、謝った知識や偏見などは捨てるべきだなと思う。特に俺は偏見の強い歪んだ人間だからこそなおさらそう思った。
日本国家、そして日本人はまだ障がい者に対してやさしい国になってない気もするけど…。制度的にも、法律的にも、教育も、そして人の心も。